ボンネットバス弁慶号にワクワクした「バスフェスタ2014 in TOKYO」

弁慶号サムネイル
Yさま(@ysb_freeman)です。

「バスフェスタ2014 in TOKYO」へ行って
いろいろバスを見てきました。

その中で一番ワクワクしたのが
ボンネットバスの弁慶号です。

じっっっくり眺めてきました。

これまでの道のりはこちら。

よろしければ最後までお付き合い下さい。

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まずは弁慶号の説明板たちをチェック!

弁慶号のまわりに
説明板が3つありました。

まずはNPOバス保存会の説明板というか
こちらは立て看板ですね。

弁慶号立て看板

ボンネットバス弁慶号

1.型式 及び年式

型式
日野BH15 昭和39年(1964)年

ボディ
金沢産業(キンサンコーチ)

型式の系譜
弁慶号は、日野自動車が昭和25年発表の
BH10型以降、改良を重ねて到達した
最終形式のBH15型車で、剣道の面を思わせる
フロントスタイルが特徴。
同型ボンネットバスは、
日野自動車の主力製品として
昭和39年まで製造され、
全国各地でバス黄金時代の
大量輸送に活躍した。

2.略歴

昭和39年
岩手県南バス(現在の岩手県交通)で導入。
以後、昭和51年8月抹消登録まで
遠野~釜石線など遠野地方の路線バスとして、
運行に当たる。

昭和57年6月
改造再登録により定期観光バス「弁慶号」として、
一関~中尊寺の運行に当たる。

NPOバス保存会

とあります。

日野自動車の車でありながら
ボディは金沢産業ということですね。

金沢産業と言えば
元は金澤航空工業株式會社という会社で
「航空」とついている通り
飛行機の尾翼なんかを製造していた会社。

中島飛行機の軍用機部品の
下請けから始まった会社だそうです。

終戦後、金沢産業と商号変更して
旧中島飛行機に残っていた
ジュラルミンを使って
ジュラルミンバスのボディーを製造し始めたのが
バスとの関わりのはじまりだとか。

金沢産業の「金」「産」で「キンサン」。

「コーチ」は「バス」という意味だと思うので
「キンサンコーチ」とは
「金沢産業のバス」といったところでしょうか。

次の説明板を見てみましょう。

こちらは「バスフェスタ2014 in TOKYO」用の説明板でしょうか。

弁慶号説明板

日野自動車の大型ボンネットバスでは
唯一の現役当時の姿を残している車体なのですね。

代々木公園へは自走してきたのでしょうか!?

ボディのイラストは
岩手県交通の社員の方々の手作りだとか。

下に紹介していますが
かなり良く描けていると思います。
プロ同等。

さて、隣にもう1つ説明板がありますね。

バスガイドさんといっしょ

なんと!

弁慶号をバックに
バスガイドさんと一緒に
記念撮影ができたのですね。

弁慶号を7つの角度からどうぞ

それではさっそく弁慶号の外観を眺めてみましょう。

まずは1周歩きながら外観を撮ってみました。

左ヨコのショットだけは
後で撮影したものです。

弁慶号右ナナメ前

弁慶号正面

弁慶号左ナナメ前

弁慶号左ヨコ

弁慶号左ナナメうしろ

弁慶号まうしろ

弁慶号右ナナメうしろ

弁慶号のイラストを見てみましょう

さきほどの説明板にあった
岩手県交通の社員の方々が
描いたというイラストを見てみましょう。

まずは「弁慶号」なので弁慶から

車体左側の弁慶。

左側の弁慶

車体右側の弁慶。

右側の弁慶

太い腕。

分厚い胸板。

ワイルドな表情。

めちゃ強そうですね。

手に持っている薙刀の先の方から
弁慶を見てみましょう。

弁慶のなぎなた

長いですね。

この薙刀は「岩融(いわとおし)」という銘。

刃の部分だけでも三尺五寸(約105センチ)
と伝わっていて
当時の標準的な薙刀が80センチくらいだったそうなので
かなり長いというかデカイ薙刀だったのでしょうね。

作者は平安時代の代表的刀工、三条宗近という説もありますが
よくわかっていないようです。

なんて、もっともらしく書いてみましたが、、、

史実としての弁慶は
義経一行の中に名前が載っていただけで
ほとんどの要素は創作なようですが。。。

弁慶ゆかりの建物たち

主役の弁慶以外にも
弁慶ゆかりの建物が描かれています。

まずは弁慶号左側。

金色堂

何と書いてあるのか
読みづらいのですが
おそらく「金色堂」でしょう。

中尊寺金色堂。

国宝です。

イラストでは金色っぽい色で
描かれていますが
実際には金色堂全体をガラスケースで覆って
さらにその外側を
鉄筋コンクリート造の建物で覆っているそうです。

さすが国宝。厳重ですね。

続いて弁慶号右側。

毛越寺

こちらははっきり「毛越寺」と読めますね。

「もうつうじ」と読みます。

このイラストを描いた時は
まだ登録されていませんでしたが
2011年に世界遺産に登録されています。

境内は特別史跡。

庭園は特別名勝。

弁慶号の車内へ突入!

外観やイラストを堪能したので
いよいよ車内へ入ってみます。

それでは、、、突入~

運転席まわり

弁慶号運転席

シンプルな運転席ですね。

弁慶号運転席2

小さめなイスです。

長い距離を運転したら
あちこち痛くなりそう。

当時のバスの運転手さんは
大変だったのですかね~

先頭座席

弁慶号先頭座席

運転席から左を見ると
すぐヨコに先頭座席があります。

運転席と横並びです。

助手席のようです。

弁慶号先頭座席番号

座席番号は「窓側1」

見方を変えれば「通路側1」でもありますね。

ちなみに先頭座席から
運転席の方を見ると、、、

弁慶号先頭座席から運転席を見る

まったくの真横です。

現役の頃は取り合いになっていたりしたのでしょうかね~

弁慶号登録番号

先頭座席の上方を見ると
「急停車にご注意下さい」
「禁煙NO SMOKING」
の表示と共に
「登録番号」があります。

「岩手230あ 1151」

いわゆるナンバープレートのナンバーでしょうか。

インパネまわり

続いてインパネまわりを見てみましょう。

弁慶号インパネ

こちらもシンプルな感じです。

ギアの位置が
こんな場所に
記されているのですね。

「踏切一旦停車」が
一番目立ってます。

弁慶号燃料計

燃料はカラですね。。。

弁慶号速度計周辺

速度計は120kmまで。

この車体で
そんなにスピードが出たのでしょうか。

もちろん公道では
120kmも出してはイケませんが。

走行距離は「94999」

もっと走っているのでしょうが
この表示です。

弁慶号金沢産業プレート

お、金沢産業のプレートですね。

「Kanazawa Coach」のプレート
初めて見たかもです。

「Kanazawa Coach」の下に
「39」とあるのは
昭和39年の意味でしょうか。

出入口の横にカーオーディオ

運転席まわりは
他のお客さんが
順番待ちしていたので
パッパと写真を撮って
後ろへ下がりました。

ふと出入口の方を見ると
何やら操作パネルのようなものがあります。

弁慶号カーオーディオ全景

はて?

ボタンらしきものが
いくつかついています。

左ヨコにはホルダーのようなものが。

もっとよく見てみましょう。

弁慶号カーオーディオアップ

むむむ、、、

これはカーオーディオですね。

「FM/AM STEREO TUNER AMPLIFER」と書いてあります。

ちょこっと離れた右側にも
ラジオのスイッチらしきものが見えます。

さらに寄ってみましょう。

弁慶号カーオーディオさらにアップ

マイクをさすジャックがありますね。

ということは
左側にあるホルダーのようなものは
マイクホルダーでしょうか。

「車内SP」
「車外SP」
と切り替えスイッチがあります。

この位置にあるということは
路線バス時代は
ツーマンバスだったのでしょうか。

観光バスになってからは
もしやバスガイドさんが使用!?

いろいろ想像(妄想?)が膨らみます。

弁慶号座席

後ろの方へ来たので
座席を見てみましょう。

弁慶号座席

現在のバスの座席と比べると
ひとまわり小さめに見えます。

前から2列目の通路側のイスは
後ろに倒してみたところです。

リクライニングシートだったのですね。

弁慶号後部非常口

最後部は非常口になっています。

ちなみにこの日は
後方へは立ち入り禁止になっていて
よく見ると座席が関係者の荷物置き場になっていました。

弁慶号座席番号

それぞれの座席には
座席番号があります。

その上には注意書きが。

フツーに読めば
「危険ですから窓から顔や手を出さないように願います」
ですが
「ですから窓から顔や手を危険出さないように願います」
かもしれないな、と
くだらないことを考えてみたり。

弁慶号エンジン始動!

ここでイベント終了時間となり
スッタフの人に
退出するよう言われ車外へ。

しばらく見ていると、、、

弁慶号ドア開き

弁慶号ドア閉まり

おお、ドアが閉まりました!

隠れていたイラストが見えてきたので
まわりのお客さんが
写真を撮りだします。

ちなみに上の
「弁慶号を7つの角度からどうぞ」で
左ヨコからの写真は
ドアが閉まってから撮ったものです。

そんなことをしていると
ナンバープレートが取り付けられ、、、

なんと!エンジン始動!

どうやら自走して帰還していくようです。

電飾が点灯しはじめました。

弁慶号点灯左ナナメ前

弁慶号点灯うしろ

マフラーからは
排気ガスが
ボーボーでています。

弁慶号マフラー

車体のあちこちに
年季を感じましたが
まだまだ走れるのですね。

Yさまのまとめ

現役のバスたちは
営業している路線へ行けば
見ることができますが
「ボンネットバス弁慶号」は
こういうイベントでないと
見ることができないと思うので
貴重な機会でした。

それと、バスマニア的な方々を散見できました。

単なるバス好きのYさまに比べたら
はるかにディープなマニアの方が
ちらほらといらっしゃっていたのでしょうね。

弁慶号のドアが閉まった時などは
「よっしゃ、しまった!」と
思わず口に出して
カメラをかかえて
小走りするような方も
いらっしゃいました。

そんなワケで
「バスフェスタ2014 in TOKYO」は終了して
あとは帰るだけなのですが。。。

続きの記事はこちら。

渋谷の街を江ノ電バスが走り抜けていきましたあ~「バスフェスタ2014 in TOKYO」

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